強制スクロールはムリです。(宮本茂さんの誕生日)
本日11/16は、「マリオ」や「ゼルダ」などなどの生みの親、ゲーム界の重鎮、宮本茂さんの誕生日です!
お誕生日、おめでとうございます!
本日は「マリオ」の思い出について書きます。
初代クッパの機動力。
宮本茂さんは、任天堂にデザイナーとして入社され、後にゲームのディレクター、プロデューサーとなっていった方で、Wikiによれば、現在は任天堂の「代表取締役フェロー」という役職だそうです。
フェローってなんだ。
フェローは、「フェロー(英語: fellow)とは、大学教員、研究所の研究員など研究職に従事する者にあたえられる職名または称号である。」だそうです。
任天堂のほとんどのゲームに関わっているんじゃないの!?っていうくらい、有名タイトルの制作には名前のある方で、その貢献に対し、数々の賞も受賞されています。
最近「Pikmin Bloom」がリリースされましたが、初代「ピクミン」も宮本さんがプロデューサーをされていました。
ゲーム界の重鎮!なんて書きましたが、
こんな感じの方で、自分的には好感度も高いです。
前に「本日7/6、テレビ東京 午後のロードショーは、アサシン クリード!」で、海外のYouTubeに出演されていたのも貼りましたね。
自分的には、デザイン畑から、経営側?に行ってるのも興味深い……と思ったんですが、自分がやっていたPSOシリーズのプロデューサー、酒井Pもデザイナー出身か。
さてさて、マリオの思い出ですが。
初代「スーパーマリオブラザーズ」は1985年の発売だそうで、自分が小学生になったときには、すでに存在していました。
自分が小学生になったときには、我が家にはゲーム機がなかったんですが、ファミコン持ってる友人なら、全員持っていた……かな?
ただし、それ程プレイした記憶はありませんね。
友人のを見ていたことはあったはず。
自分の世代といえば、何と言っても「スーパーマリオブラザーズ3」。
世代のせいか、ファミコンカセットの箱のイラストを見るだけで、わくわくドキドキするんですが、パッケージのイラストが見れる広告がなかった。
小学生だった自分には、もう、無限ともいえるステージ数があり(90ステージ??)、一生遊んでられると思いました。
とはいえ、画面が勝手にどんどん横に進む、強制スクロールのステージは全然クリアできなかったですけどね。
その辺もアイテムでステージを飛ばしたりできて、良くできていました。
笛暴発もあるあるではないでしょうか。
大人になって、20代前半の頃にバイトしていたゲームセンターの休憩室で、社員の方がクリアするところを見せてくれました。
初めてエンディングを見て感動しました。
エンディングは、……ネタバレ止めときましょうかね。
見たい人は、きっとネット上にいくらでもあると思います(確認してないけど)。
ちなみに、マリオ2って、見たことある方、ほとんどいないと思います。
当時を知らない方も多いと思います。
「スーパーマリオブラザーズ2」は、ディスクシステムというのでリリースされたんですが、なかなか普及していなかったですね。
自分も1回しか見たことないですし、マリオ2はプレイしたことないです。
次にマリオに出会うのは、ゲームボーイ版「スーパーマリオランド」。
ゲームボーイは、我が家にやってきた初めてのゲーム機で、これはもうやりつくしました。
恐らく今でもBボタン押しっぱなしで全クリできます。
こう振り返ってみると、まだまだマリオの思い出ってありますね。
マリオカートもやったなあ。
機会があれば、また語りたい。
LINEスタンプ作り、昨日も少し進めました。
0.5枚って程は進まなかった。
と、ガッツ。
鼻塗り大変かと思っていましたが、とりあえず良いかな。
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