節分の元ネタの神話

本日は節分です!

本日は、節分の起源などについて検索してみたので、そのことについて書きたいと思います。

ごもっともー!については最後に。


当ブログでは、たびたび神話について書いていて、せっかく節分なので、その元ネタになった神話がないか検索してみることにしました。

1時間くらい検索してみたんですが、地方のマイナールールなんかが無限に出てきてキリがなかったので、1時間で検索を切り上げて分かったことを書くことにしました。


まずは、節分の起源。

中国の「追儺(ついな)」という行事が元ネタだそうで、平安時代くらい(西暦800年くらい?)には日本にも定着したそうです。

「追儺」は旧暦の大晦日に行われていたそうですが、だいたい今と同じ時期くらいみたいで、中国の皇帝の前で鬼を恐れさせる舞を踊ったあと、鬼役の人を門から外に追い出すという行事だったようです。

けっこう今の行事と直結している気がしますね。

バレンタインデーみたいに、豆メーカーが広めた行事とかではなさそうです。


なぜ豆をまくのかは、諸説あるようなんですが、ネット上で多く書かれていたのは、魔を滅する語呂合わせ、「魔滅」説。

鬼の目「魔目(まめ)」に豆(まめ)を投げつけて「摩滅(まめ)」するという、さもありなんなダジャレ要素から来ているという説です。

おせち料理とかもそうですが、古い行事にはダジャレがめちゃくちゃ多いですよね。

眠りたいときに羊を数えるのも、海外版ダジャレおまじない説があるので、基本的に人類はダジャレ信仰があるのかもしれません。

ちょっと情けなくなります。


さてさて、当ブログとしては、由来になった神話とか、かっこいい話とかないのかなと思って検索していたのですが、まず見つかったのは、Wikiの
「『壒嚢鈔』(あいのうしょう)(1445年または1446年成立)巻一の八十三「節分夜打大豆事」には、宇多天皇の時代(867年 - 931年)、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池(深泥池)の端にある石穴から鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷し、鬼の穴を封じて三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたとする由来伝説が記されている[11]。」
というもの。

簡単に言うと、867年~931年くらいのころ、鞍馬山のお坊さん(で、いいのかな?)が、現在の京都の深泥池(みどろがいけ)の辺りの穴から鬼が出てきて都で暴れるので、お祈りして、穴を封じて、豆を投げて鬼の目に当ててやっつけた、というお話みたいですね。


もう1つ。

なぜ、炒り豆、いためた豆なのかというお話に、
昔々あるところに、人を食べる鬼がいたそうで、神様が鬼に、「豆から芽が出たら人を食べてもいいけど、芽が出ないのに食べたらいかんよ」と言って、炒った豆を渡したそうです。
鬼は、炒めてあるとは知らず、豆を育てようとしたが、芽は出ず、人を食べることはできなくなったとさ。
というお話。

なので、「豆から芽がでるのは縁起が良くない」という説と、「節分に豆まきして、その豆が育ったら困る」という実際に困る説があるそうです。

確かに豆まきした翌年、庭に大豆がめっちゃ芽を出してきたら、「うわあw」ってなる。

最後に、Wikiに載っていた、地方のマイナールール。

豆まきのとき、「鬼は外、福は内」の合いの手で「ごもっとも!ごもっとも!」と言う地方もあるみたいです。

なんか面白い。


ではでは、また明日!

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